前を向いて、動き出さないといけませんものね。頑張ってください!
東日本大震災で壊滅的な被害を受けた漁業の町、宮城県女川町。復興のメドは立たないままだが、先代社長を津波で失ったかまぼこ製造会社が、奇跡的に残った工場での製造開始へ始動した。「自分たちが仕事を始めることで、地元のみんなが前を向ければ」。同社のことを、地元の漁業関係者らは「女川の希望」と呼んでいる。(田中一世)
「みんな苦しんでいるとき、再起を目指してよいのかと後ろめたさもある。でも、女川のために先頭を切ってやりたい」
今月2日、女川町の水産業者らによる会合で、かまぼこ製造会社「高政」の高橋正典社長(61)が、切り出した。「頑張ってくれ」と声が飛んだ。女川は立ち直れるかもしれない。そんな空気が会場を包んだ。
港も魚市場も役場も破壊された。同社でも、正典さんの父で、自宅にいた先代社長の政一さん(91)と従業員1人が亡くなった。
震災直後の3、4日間は道路が分断され、町に食料が届かなかった。政一さんの孫で、海外出張中の父の正典社長に代わって留守を預かっていた取締役の正樹さん(36)は、在庫のかまぼこ数万個をすべて配った。
思いだしたのは、「企業は地域に生かされている」という亡き祖父の教えだった。
工場も激しい揺れで天井が落ち、生産ラインは損傷を受けた。しかし、浸入してきた海水は、原料となる魚肉すり身の冷蔵倉庫の2、3メートル手前で、奇跡的にも止まった。先月下旬には、製造機を応急処置で直し、無事だった原料を使ってかまぼこ約7万個を作り、避難所を回って届けた。
現在は、本格的な製造再開に向け、製造機の本格復旧に取り組んでいる真っ最中だ。
町は消えてしまった。生産を始められても先行きは不透明。でも、女川の水産会社で再開のメドが立ったのは同社だけ。生活の糧を失った同業者たちからは「遠慮は要らない。高政さんしか残っていないんだから頼むよ」と声をかけられる。
正樹さんは「かまぼこ屋は、かまぼこを作ることでしか元気な姿を見せられない。社員が力を合わせ、今月中旬に再開したい」と語る。
祖父は津波が来たとき、真っ先に祖母と母を自宅2階に上げた。2人は体が水に漬かりながらも階段を上り切ったが、最後尾にいた政一さんは波にのまれた。
政一さんは自分のことよりも他人のこと、地域のことを考える人だったという。「会社を軌道に乗せ、地域に恩返ししたい。じいさんに恥ずかしくないように」。正樹さんは言葉に力を込めた。
2011年4月6日水曜日
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