2011年9月11日日曜日

9・11から10年 世界を変えたおカネ

いかに日銀の政策が世界の潮流に乗れなかったかが分かりますね。


 9・11米中枢同時テロから丸10年、世界の力関係はどう変わったか。如実に物語るのが、通貨である。中国はこの間人民元札の増刷に励み、2008年9月のリーマン・ショックからいち早く立ち直り、10年には日本を抜き世界第2位の経済大国に浮上した。対照的に、日銀はお札を刷らずに円高・デフレを助長し続け、財務官僚主導の政府は円高・デフレを加速しかねない増税にのめり込む。日本は自滅の道を歩む速度を速めている。

◆元-ドル相場連動制

9・11は「カネ」と切っても切れない。当時の米ブッシュ政権は同時テロの数週間後に「愛国者法」を成立させ、ドル資金の流れを厳重監視し始めた。ウォール街で巨額の余剰資金を運用していたアラブ系などの投資家やヘッジファンドが身元を知られるのを嫌って、監視の緩いロンドンなどにカネを移した。米金融市場は不安定になった。そこでブッシュ政権が住宅需要を喚起する一方で、米連邦準備制度理事会(FRB)は金融緩和で住宅関連金融商品を後押し、世界からカネを呼び戻した。住宅ブームは個人消費を大いに刺激した。

この機に乗じたのが中国である。対米輸出を軸に経済成長にはずみをつけた。その秘密は人民元の対ドル相場連動制である。北京の通貨当局は輸出代金などで入ってくるドルを買い上げて人民元を増刷し、国内投資に振り向ける。

「9・11」直前の01年9月10日、北京を訪問していた当時のオニール財務長官の回想録によると、長官は人民大会堂で江沢民国家主席(当時)らと会談した。中国側は人民元の大幅切り上げに難色を示し、オニール長官が「市場資本主義の力にまかせると中国は分裂してしまう」と容認。長官と江主席は「辛抱しましょう、そして一緒にやりましょう」と唱和したという。この合意が今なお生きている米中金融協調の基本である。

中国側は溜まる外貨を米国債購入に当てる。その後、小刻みに人民元を切り上げてはいるが、ドルを買い上げて人民元相場を意図的に安く抑えると同時に、ドル資産の裏付けをもとに人民元を増刷する路線に変わりない。

◆増える各国の通貨

FRBは「リーマン」以降現在までに3倍以上もドル札を発行し、そのドルでバブル崩壊した住宅ローン担保証券や米国債を買い支えてきた。中国はドルの増刷に合わせて輪転機を加速させ、欧州中央銀行もギリシャなどユーロ加盟国の財政危機に直面しユーロ発行量を増やす。

日銀は01年3月、量的緩和(お札の継続的な増刷)政策を採用し、デフレの進行を食い止めようとしたが緩和規模は半端でデフレ基調から脱けられなかった。

◆資金は逆流し円高に

それでも05年から07年半ばまでは円安になった。06年3月の量的緩和打ち止め後も超低金利の円資金が住宅関連などでブームに沸く米金融市場に流れ込んだためだ。しかし、07年夏の米国で低所得者向け高金利型住宅融資(サブプライムローン)危機が勃発して以降、日米間の資金は逆流し、円高に転じた。

「リーマン」が起きても日銀はインフレを気にして米欧の金融緩和政策に同調しなかった。逆に韓国はウォン安政策をとり、中国は人民元を下落するドルに連動させる。競争条件が不利になった日本の輸出は激減し、景気の落ち込みぶりは米欧より激しかった。国内需要も減るので、デフレはさらに悪化していく。日銀は徐々に金融緩和に切り替えたが、タイミングは遅く、規模も小出しのままだ。

政府のほうは、東日本大震災後の復興財源を増税で賄うと公約している。増税は国が民間の所得を巻き上げる。家計や企業は消費や投資を切り詰めるのでデフレが進む。デフレ国のおカネや金融資産の値打ちは上がるので、海外の投機筋は円買いに走る。政府と日銀とも「円高を憂慮」と口にしながら、実際には円高促進政策をとっているわけである。9・11後10年の間に、膨張した通貨の海に無策日本は翻弄され、今や自沈しかけている。

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